先日、私の住む村で村議会議員選挙があった。
有権者数は490程。定員6に対して立候補者は7人。なので、1票の重さが分かっていただけるかと思う。
投票率は90%を超えている。村外に住んでいて投票しない人もいると考えると村内の人はほぼ投票していると見込んでいい。
移住者であっても、普段は声をかけられない村人から1票のお願いをされる熱の入れようだ。
皆さんは小さな村での選挙の実態をご存じだろうか?
今でこそなくなった(?)と思われる金での票のやりとりや敵陣営への嫌がらせは数十年前までは日常茶飯事だったらしい。
「200万やるから若い奴の票30まとめろ」とか、そういう規模だったとのこと。
他にも、選挙期間中は自分の車のアンテナに支持者の色のテープを巻いて誰に票を投じるのかを主張したり、ここの私有地を通ってもいいことにしてやるから票をよこせと迫る人もいたらしい。
あの手この手のエピソードを色んな村人から聞くことができた。
一番驚いたことは、これは今になっても続いていることだが、誰が誰に投票するかをかなりの確率で皆がわかっているということだった。
そして、投票する人が決まっている場合は他の候補者からお願いされてもはっきりと断る。何故なら嘘がバレてしまうからだ。
選挙の原則などは守られるはずはない。村の全ては政治的であって、そしてそのほとんどは親族という単位で構成されている。結局そこにつきていた。
「票を持っている」という表現を村人はよく使うが、例えば一人の現職議員が次回は立候補しないとなると、前回の選挙の時に彼が得ていた票を次の誰かにまるまる受け渡すというしきたりのようなものがある。なので数の予想は結構簡単に当たることになる。
候補者のマニフェストなどはあるはずもない。
投票理由は血縁と日常の繋がりだけだ。
落選は汚点であり、立候補の動機は私からみれば見栄と利権だ。
開票日の夕方には各々の陣営の選挙本部(大体が自宅)に応援者は集合し、夕飯(酒)を囲んで結果を伝える村内放送を待つのが恒例となっている。候補者は本当は酒を提供してはいけないので、なんとなく皆湯呑み茶碗を使ってカモフラージュしているのがおかしく可愛い。
私は立候補した上司から開票所に行って速報を電話で知らせる役目を言い渡され、20時に役場へと向かった。
無駄に緊張感のある30分だった。
なんせ開票者も見届け人もほぼ全員知っている顔で、皆がマスク越しになんともいえない表情をしているのが伝わるからだ。
上司のは当選した。すぐに電話をかけ、再び家に戻った。
家には応援者がぞろぞろと詰めかけており、皆一杯やって帰っていくのがお決まりだ。
普段静かな表通りをそそくさと人が行き交っていた。
大きな混乱もなく終わったように思えた選挙だった。
しかし翌日に感じたのは選挙という戦いに参戦させられ荒廃した村の澱んだ空気だった。
話題は得票数であり、誰が入れた入れない、投票用紙に書かれた暗号のような名前の書き方や欄外に記された小さな丸印、当選したあいつの朝の清々しい顔、票の少ないオメェの車が道を譲れという冗談、疑心暗鬼。
そして皆の頭にもうよぎっているのは6月に迫る村長戦だった。
村の選挙についてはもはや政治という類いで語ることができない。この村に外から持ち込まれた政治は全く似合っておらず、勘違いしているクソが群がっているだけだった。というか単に日本の縮図を体感しただけだろう。こういう成り立ちのルールが私の生に大きく介入していると考えるだけで虫唾が走る。
柳田國男の世界に今私は住んでいるのだと思う。
正しい正しくないとかもはやそういった次元で何も話すことができない思考停止状態に弛緩している。
今年の梅雨時期は昨年以上にヘビーになることはいういうまでもない。